季節が暖かくなって、子供と明るい色味の靴下をスタイリングのアイテムに選んで、お出かけするのが楽しい。ちょっと差し色を靴下に入れ込むだけで、気分が上がる。これはみんなにオススメしたい、ちょっとしたこと。今は子供も4歳だから、そこまで自我が無いので(スタイリングに感じては)服選びに苦労する事はない。友達の同じ歳の長女は毎朝、服を選ぶのに膨大な時間をかけている話を聞いた。気に入らないと、服を着てくれない事態だそう。相当、大変だ。

さすがに4歳の頃、自分がどんな服装を好んでいたかは覚えていないけれど、ぼくが大人になって感じる事は、「衣服とは自分を表現してくれるもの」ということ。その子の服への好き・嫌いは、自分という自我が、自己表現の中で異なる違和感を感じて、それがどうしても消化できないから、着ることを拒むのだろう。

中学生や高校生が、学ランやセーラー服を着るように、大人もスーツを着る。戦隊モノのヒーローが敵を倒すのにも、カッコいいボディースーツが必要だ。これらは、彼らが何者なのか表現している。そう、服は何気なく毎日着ているけれども、その日の気分が反映されて、自分を表現するメディアとなって、発信している。

休日に、誰か大切な人に会う時は思い切りオシャレをするよね。そう思うと、みんなそれぞれ、特別な自分のユニフォームを着て外を歩いているってことだ。