大切な人って、誰だろう。家族は、大切。友人も大切。仕事の同僚も大切だ。
色んな環境で私と繋がっている、大切な人がいる。これは感謝でしかない。しかし、いつからぼくは『大切な人』を認識するようになったのか。
子供の頃、両親のことを、『大切な人』だと認識できていたかどうかは、ぼくの場合、怪しい。
なぜかというと、存在が当たり前だったから。大切かどうか考える前に、絶対にすぐそばにいたし、大切だとは思わなかった。当たり前でしかなかった。大切だと気がついた瞬間は、社会人になってからだろう。年齢を重ねる事で、また立場が変わる事で『大切な人』を認識できた。
自分の子供に対しては、最初から『大切な人』だ。これは、大切にしなければ成り立たないから、というのが大きい。赤ちゃんは守らないといけないという野生の本能だろうか。もし馬のように、産まれてすぐに歩き出すようであれば、少しは考えも違ったかもしれないけれど。
友人に関しては、『大切な人』と感じる瞬間は僕の場合、少ない気がする。しょっちゅう連絡を取るタイプの人間ではないから、ある程度連絡を取らない期間が続くと、関係性が薄まってしまう。つまり離れると、『大切』からも離れる。関係性は、期間と濃度が影響する。何を言いたいのかというと、家族や子供と同じようにとは言わないけれど、『大切な人』のフィールドをもう少し広げ、同じように接するよう心がけたいと思っている。
年齢のせいかもしれない。大人になるにつれ、『大切な人』をしっかりと認識したいと感じている。素直に、「ぼくはあなたを『大切』に思っています」と表現できたら、人生がもっと豊かなものになる気がする。
今まで色々なことをもらったから、恩返しをしたいのかもしれない。