毎日、日記を書いている人は意外と多いのではないだろうか。箇条書きで、その日あった出来事をメモのように業務的に書くひと。細かな字で、まるで家計簿のようにびっしりと書くひと。ざっくりと、その日の気持ちを大胆に書くひと。機会があったらいろんな人の日記を拝見してみたいものだ。きっと、誰一人として同じ文章はないはずだから、おもしろいに決まってる。
ぼくもこのブログを書きながら、別で日記を書いている。日記の役目として、誰かに読まれる事を意識しているものではない。ただ、淡々と何があったかを書いているけれど、日記を書き進めていると、これは書きたいぞ!という内容が見つかる。文章は縁日に似ている。頭の中に浮かんだ言葉の羅列はまるで、出店のスーパーボールすくい。文字がプカプカ浮かんでいる中から、選びすくいとる。とった言葉は、あんまり手で握っていると、わた菓子のように溶けて無くなってしまうから、消えないうちになるべく早く書くことにしている。
考えていくと、日記とブログの境目は一体なんだって話になる。ブログを始めたきっかけは文章と写真と向き合いたいと考えて始めた事だ。読み手を意識はしているけれども、基本的には自分に向かって書いている。最近、投稿を続ける事ができなかった。もしかしたら原因は「誰の為に書くのか」に対して自分のなかでしっかりと目的が定まっていなかった事かもしれない。
ぼくが尊敬する、ほぼ日の糸井さんの『今日のダーリン』2022年5月18日で、文章を書くということについて、「服を着て歩くようなもの」という表現をされていた。この表現はとても印象的だった。その気持ちでこれから文章と向き合うと、文書に対して答えが見つからない自分の中で何かしらの化学反応が起こる気がした。