PENTAX67Ⅱ + SMC 105mm / PORTRA 400

後から振り返れば、別にあんなに怒らなくても良かったと思うことがある。

子供に対して責任感からなのか、怒ってしまう。責任感を感じなくてもイライラして、怒ってしまう。これ、あんまり良くないなぁと思ってます。そんな自分を変えようと、ある本を読み始めました。『アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉』です。

「怒り」は相手をねじ伏せ、支配するために使われる。相手を犠牲にして自尊心を高める、安っぽい手法である。しかししばしばうまくいくため、常用される。

怒りはとても便利な存在。簡単に他者をコントロールできるがその反面、効果は長続きはしないとアドラーはこの本で書いている。怒りは「人と人とを引き離す感情」とも表現しています。

先日の朝、長男に怒った。人の話を聞かないでふざけた態度をとっていたからだ。思わず強い言葉で長男を叱りつけた。ぼくの本気が伝わったのか、長男は黙った。その後、少し涙をこらえていた。

これは、まさに「怒りで相手をねじ伏せた状態」なのではないかと思う。二歳になる長女がイヤイヤ期に入ってきて、ごきげんをとるぼくら両親。長男はそれをおもしろく思わない。邪魔をすることでぼくらにアピールをしているのは、冷静になれば分かる。だが怒ってしまう。

あとから振り返ると、あんなに怒らなくても良かった。冷静に、しっかりと伝えること。アドラーは怒りによる支配は、大抵の場合うまくいくと言っています。たしかに一時的にその場は静まり返った。ただ根本的な解決には至らない。

怒りを使うと、相手の心は自分から離れていくそう。まあ、想像できます。誰だって怒られて嬉しい人はいない。もっとこの人と話したいと思わない。子供と信頼関係のもと、冷静に話し合うことができたら。

せめて、朝から怒ることはやめようと思った。1日のスタートを気持ちよく切れるように心がける。怒った自分も気がかりでしょうがない。始まりが悪くてはその先が思いやられるのだから。

怒りは、ほどほどに。分かってはいるけど、日々の忙しさからできないと言い訳する。アドラーの言葉はそんなぼくにぴったりでした。